対等な関係で自立できる経済活動 |
バランゴンバナナのふるさとフィリピン・ネグロス島は同国最大の砂糖 |
産地で、3パーセントの地主によって7割の土地が所有され、砂糖き |
びのプランテーションが広がっていました。ところが1980年代半ば、 |
砂糖の国際的取引価格が暴落したことで砂糖産業は大打撃を受け、 |
地主のプランテーションの放棄が相次ぎました。 |
島民のほとんどは砂糖の産業に依存していたため、食を失い、ネグ |
ロス島全土に急速な勢いで飢餓が広がっていきました。日本のNGO |
、日本ネグロス・キャンペーン委員会は募金を行い、資金や食料を送 |
りました。当初飢餓に苦しむネグロスの子どもたちへの緊急支援を目 |
的として結成された日本の生協や市民団体のNGOでしたが、やが |
て、カンパに頼る一時的な援助ではなく、「ネグロスで生産されたもの |
を買う」正当な対価でかつ対等な関係で、彼らの自立を継続して支え |
る経済活動へと発展していきました。 |
「民衆交易の始まりです。 |


▲ATJの赤松さん(中央) |


▲バランゴンバナナの集荷場 |
幾多の苦難を乗り越え安定供給へ |
植物検疫が義務づけられているため、成熟したバナナは輸入禁止で |
緑色のバナナしか通関できません。「バランゴンバナナ」が初めて日 |
本に届いたのが1989年2月。刈り取り時期が判断できなかったため |
に、バナナは傷んで真っ黒になっていました。その後も台風などの自 |
然災害や連作障害など幾度となく困難な状況に陥りましたが、現在 |
は品質改善の熟度管理や栽培管理が行われているものもあり、安 |
定供給が進んでいます。 |
買い支え続け今年の10月、ATJは20周年を迎えました。バランゴン |
バナナから消費者は「安全と美味しさ」を、生産者は安定した定期収 |
入を得て、子供たちの教育や暮らしにもささやかなゆとりを持つことが |
できるようになりました。 |
この20年間の「民衆交易」の取り組みを基盤に、仲間と協力しながら |
自立を目指して、動き出しています。 |